Tuesday, January 23, 2007

中国教育法のすごさ www

教育基本法改正問題についてもう一言。教育基本法改正を急いだ理由。それは中国の教育法の制定(1995年)だったと思います。
公明党との与党内協議がなぜ非公開であったのかがそれを証明しています。公開して協議するほどの根拠,大義が無かったからです。中国がこんな教育法を作った,それに対抗する日本の教育法をどうするかという発想だけだったのです。
中国共産党はこの法律で中国人民を支配しようとしている。日本支配者政党の自民,公明はどのようにして日本国民を支配するイデオロギーを構築するのか。
まぁ、しかしそれほど中国の教育法は過激であります。w
それは共産党一党独裁と資本主義導入の矛盾を塗固するための焦りだと思われます。資本主義の導入と共産主義の並立は,日本の本地垂迹説よりもより奇妙な思想の接木なのです。ありえない話。むちゃくちゃ。w
とりあえず中国教育基本法の総則部分をお見せします。これは教育における近隣窮乏化政策だと思うのは私だけでしょうか。またそのような政策にうまうまとのってしまう安倍信三なる宰相の度量とは信頼にたるものなのでしょうか。お確かめあれ。w


〔仮 訳〕 中華人民共和国教育法 (1995年3月18日 第8期全国人民代表大会第3回会議で可決)

第1章 総則 第1条 教育事業を発展させ,全民族の資質を向上させ,社会主義物質文明及び精神文明の建設を促進するため,憲法に基づき,本法を制定する。

第2条 中華人民共和国内における各段階各種の教育について,本法を適用する。

第3条 国家はマルクス・レーニン主義,毛沢東思想及び中国的特色を持つ社会主義建設理論の指導を堅持し,憲法が定める基本原則を遵守し,社会主義教育事業を発展させなければならない。

第4条 教育は社会主義現代化建設の基礎であり,国家は教育事業の優先的発展を保障する。 全社会は教育事業の発展に関心を持ち,これを支持しなければならない。 全社会は教員を尊敬しなければならない

第5条 教育は社会主義現代化建設に貢献し,生産労働と結び付き,徳・知・体の全面に発達した社会主義事業の建設者及び後継者を育成しなければならない。

第6条 国家は教育を受ける者に対し愛国主義,集団主義,社会主義の教育を実施し,理想,道徳,規律,法律,国防及び民族団結の教育を実施しなければならない。

第7条 教育は中華民族の優秀な歴史的文化的伝統を継承,発展させ,人類文明が生んだすべての優れた成果を吸収しなければならない。

第8条 教育活動は国家及び社会の公共の利益に添うものでなければならない。 国家は教育と宗教の分離を実行する。いかなる組織及び個人も宗教を利用して国家の教育制度における活動を妨害してはならない 。

第9条 中華人民共和国公民は教育を受ける権利及び義務を有する。 公民は,民族,種族,性別,年齢,職業,財産及び宗教にかかわらず,法により等しく教育を受ける機会を有する。

第10条 国家は少数民族の特質と必要に応じ,少数民族の教育事業の発展を援助する。 国家は貧困地区の教育事業の発展を支援する。 国家は障害者教育事業を支援し,これを発展させる。

第11条 国家は社会主義市場経済の発展及び社会の全面的進歩の必要に対応し,教育改革を推進し,各段階各種の教育の均衡のとれた発展を促進し,教育改革を促進し,生涯教育体系を整備,確立する。 国家は教育の科学的研究を支持,奨励し,またその実施を組織し,教育の科学的研究の成果を普及させ,教育の質を向上させる。

第12条 中国語を学校その他の教育機関の授業言語とする。少数民族の児童生徒を主とする学校その他の教育機関は,当該民族の言語又は当該民族に通用する言語により授業を行うことができる。 学校その他の教育機関における授業では,全国共通の標準語及び標準文字を使用し,普及させなければならない。

第13条 教育の発展に顕著な成績を収めた機関及び個人に対し,奨励を与える。
第14条 国務院及び地方各レベル人民政府は各レベル政府の責任を分担して管理し,責任を負う原則に基づき,教育の指導及び管理を行う。 中等以下の教育は,国務院の指導のもと,地方人民政府が管理する。 高等教育は国務院及び省・自治区・直轄市人民政府が管理する。

第15条 国務院教育行政部門は全国の教育を主管し,全国の教育事業について計画を策定し,管理調整する。 県以上の地方各レベル人民政府教育行政部門は法律その他の規定に従い,当該行政区域内の教育を主管する。 県以上の各レベル人民政府のその他の行政部門は,その職責の範囲内で関連する教育に責任を負う。

第16条 国務院及び県以上の地方各レベル人民政府は,当該レベルの人民代表大会又はその常務委員会に対し教育政策及び教育予算,決算の状況を報告し,監督を受けなければならない。

Monday, January 22, 2007

尋常小学校修身教科書

 教育改革の行く末はこんなことなのだろう。美しい国日本とはこんな国なのだろう。参考に供します。尋常小学校修身教科書です。
 
第一 明治天皇   明治天皇は常に人民を子のやうにおいつくしみになり、之と苦楽をともにあそばされました。 明治十一年天皇は北国丸御巡幸の時、新潟県で目のわるいものが多いのをごらんあそばされてそれをなほすために御てもと金を下されました。又天皇はぢしん・こうずゐ・くわじなどのさいなんにかかつた人民を度々おすくひになりました。 明治二十三年愛知県で大えんしふのあつた時、天皇ははげしい雨のふるなかで、へいしと同じやうに御づきんをもめされず、御統監になりました 明治二十七八年のいくさの時、天皇は大本営を広島へ御進めになりましたが、大本営はしつそなせいやうづくりで、その一間が御座所でございました。天皇はこの御間にばかりしじゆうおいでになつて、朝早くから夜おそくまで、色々おさしづあそばされました。 天皇は常に御しつそにあらせられました。表御座所でお用ひのすゞりばこや、ふで・すみなどもみ普通のもので、これをやくにたゝなくなるまで、おつかひになりました。又この御間のしきものは、古くなつて色がかはつてもおかまひなく、御いすの下のけがはも、やぶれたところをたび/\つくろはせて、なか/\おとりかへになりませんでした。
    
第二 能久親王   能久親王〔北白川宮〕は明治二十八年五月台湾のぞく軍を御せいばつなさるために、かの地へおわたりになりました。おつきになつてもお休みになるやうな家がないので、砂の上にまくをはり、そまつないすをおいて御座所としました。又御しよくじにはさつまいものむしやさをさし上げました。それからだん/\軍をお進めになりましたが、へいしとともに大そう御なんぎをなされ、御病気におなりになつても、少しもおいとひなされず、おさしづなさいました。 ぞくはたいてい平らぎましたが、南の方にまだのこりのぞくがゐましたので、その方へお進みになりました。そのとちゆう又御病気におかゝりなさいました。んいは「おとゞまりになつて御やうじやうあそばしますやうに。」と申し上げましたが、親王は「わが身のために国のことをおろそかにすることは出来ぬ。いきのあるかぎりはつゞける。」とおほせられ、きゆうくつなかごにのつてお進みになりました。』 親王はかやうに国のためにおつくしになりましたが、かなしいことには、御病気が重くなつてまもなくおかくれになりました。

    第三 靖国神社   靖国神社は東京の九段坂の上にあります。この社には君のため国のために死んだ人々をまつつてあります。春〔四月三十日〕と秋〔十月二十三日〕の祭日には、勅使をつかはされ、臨時大祭には天皇・皇后両陛下の行幸啓になることもございます。君のため国のためにつくした人々をかやうに社にまつり、又ていねいなお祭をするのは天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御めぐみの深いことを思ひ、こゝにまつつてある人々にならつて、君のため国のためにつくさなければなりません。

    第四 志を立てよ   豊臣秀吉は木下弥右衛門の子で、尾張のまづしい農家に生れ、八歳の時父に死にわかれました。秀吉は小さい時からえらい人にならうと志を立ててゐましたが、よい主人に仕へようと思つて、十六歳の時遠江へ行きました。とちゆうで松下加兵衛といふ武士にあつて、その人に仕へることになりました。秀吉はよくはたらきましたので、主人の心にかなひ、だんだん引立てられました。けれども仲間のものにそねまれたので、ひまをもらつて尾張へかへりました その後秀吉は織田信長がすぐれた大将であるといふことを聞いて、つてをもとめて信長のざうりとりになりました。これから秀吉はだん/\出世をしました。    

 第五 皇室を尊べ   秀吉は信長のなくなつた後、その志をついで国内を平げ、おひ/\とくらゐがのぼつてしまひには関白太政大臣となり豊臣の姓をちやうだいしました。 そのころの天皇は正親町天皇と申し上げましたが、よの中がみだれてゐたために、おそれ多くも皇居の御ふしんも十分出来ず、御不自由がちであらせられました。秀吉は力をつくして皇室の御ためをはかりましたので、天皇は御よろこびになりました。 その後秀吉は京都にやしきをかまへて聚楽と名をつけましたが、ある年そのやしきに後陽成天皇の行幸を御願い申し上げました。その時秀吉は文武の役人を従へて、御ともをいたしました。御道すぢには多くの人々が拝観してゐて、久しぶりにこの太平のありさまを見てよろこびまレた。又聚楽では秀吉が大名たちに皇室を尊ぶことを天皇の御前でちかはせました。 京都の豊国神社は秀吉をまつつてある社でございます。

    第六 孝行   渡辺登は十四歳のころ、家がまづしい上に父が病気になつたので、どうかしてうちのくらしをたすけて、父母の心をやすめたいとかんがへました。登ははじめ、がくしやにならうと思つて、がくもんをべんきやうしてゐましたが、ある時、人から「ゑをかくことをけいこしたら、くらしのたすけになるだらう。」とすゝめられ、すぐある先生についてゑをならひました。 父は二十年ばかりも病気をしてゐましたが、登はその長いあひだ、かんびやうをしてすこしもおこたりませんでした。父がなくなつた時、大そうかなしんで、なきながらふでをとつて、父のかほかたちをうつしました。さうしきがすんだのちも、朝ばんきものをあらため、つつしんで父のゑすがたにれいはいをしました。  孝ハオヤヲヤスンズルヨリ大イナルハナシ。

    第七 兄弟   登の弟やいもうとは、みな早くからよそへやられました。 八つばかりになる弟が、ほかへつれて行かれる時、登は弟のふしあはせをかなしんで、雪がふつてさむいのに、とほいところまでおくつて行つてわかれました。 その弟がしらない人に手をひかれ、うしろをふりむきながらわかれて行つたすがたが、あまりにかはいさうであつたので、登は、いつまでもその時のことをおもい出してなげきました。    

 第八 勉強   登はさきに人のすゝめにより、ある先生について、ゑをならつてゐましたが、おれいが十分に出来なかつたため、二年ばかりでことわられました。登は力をおとしてないてゐたら、父が「これくらゐなことで力をおとしてはならぬ。ほかの先生について勉強せよといひました。登は父のことばにはげまされて、ほかの先生についてならひました。その先生はよくをしへてくれられましたから、登のわざはだん/\すすみました。そこで登はゑをかいてそれをうり、うちのくらしをたすけながら、なほ/\ゑのけいこをはげみました。又その間にがくもんもしましたが、ひまが少いので、まい朝、はやくおきてごはんをたき、その火のあかりで本をよみました。  カンナンナンヂヲタマニス    

 第九 規律   登は父がなくなつてから、そのあとをついで、だん/\重い役に取立てられました。そのころから日々のしごとをさだめて、朝ひるばんともそれ/゛\じこくにわりあて、それをかでうがきにして、そのとほりおこないました。 こんなに登は規律ただしくしたので、ゑが大そうじやうずになつたばかりでなく、がくもんもすゝんでえらい人になり、せけんの人々からうやまはれるやうになりました。     

第十 克己   高崎正風は薩摩の武士の家に生れました。九歳の頃、或朝、食事の時に、「御菜がまづい。」といつてたべませんでした。召使は何か他に御菜をこしらへようとしますと、隣の間に居た母が来て、「お前は武士の子でありながら、食物についてわがまゝをいひますか。昔いくさの時には殿様さへ召上りものがなかつたこともあるといふではありませんか。どんな苦しいことでもがまんをしなければ、よい武士にはなれません。この御菜がまづければたべないがよろしい。」といつて正風の膳を持去りました。正風は一度母の言をひどいと思いましたが、遂に自分のわがまゝであつたことに気がついて、何べんも母にわび、姉もまたわびてくれましたのでゆるされました。その時、これからは食事について決してわがまゝをいふまいと誓ひました。それから正風はこの誓を守るばかりでなく、どんななんぎなことでも、よくがまんしたので、後にはりつぱな人になりました。    

第十一 忠実   おつなは若狭のれうしのむすめで、十五歳の時、子もりぼうこうに出ました。或日主人の子供をおぶつて遊んでゐると、一匹の犬が来て、おつなにとびかゝりました。おつなはおどろいて、にげようとしたが、にげるひまがない。きふにおぶつてゐた子供をぢめんにおろし、自分がその上にうつぶしになつて、子供をかばひました。犬ははげしくおつなにかみついて、多くのきずをおはせましたが、おつなは少しも動きませんでした。 そのうちに人々がかけつけて、犬を打ちころし、おつなをかいはうして、主人の家にかへらせました。子供にはけががなかつたが、おつなのきずは大そう重くて、そのために、とう/\死にました。これを聞いた人々はいづれも深くかんしんして、おつなのためにせきひを立てました。     

第十ニ 身体   伴信友はつねにけんかうに心がけました。毎日朝起きた時と、夜ねる時に姿勢を正しくしてすわり、三四十ぺんもしんこきふをし、又毎朝つめたい水で頭をひやしました。そのほか朝ばん弓を引いたり、はをつぶした刀をふつたりして、よくうんどうしました。かやうに身体を大切にしたので、年をとつても丈夫で、たくさんの本をあらはすことが出来ました。 すべて身体を丈夫にするには、姿勢に気をつけ、うんどうをおこたらず、着物はせいけつにして、あつ着や、うす着にすぎないやうにし、ねむりと食事はきそく正しくしなければなりません。又からだをきたなくしておくと病気がおこりやすく、うすぐらいところで物を見ると目をいためます。     

第十三 自立自営   近江に高田善右衛門といふ商人がありました。十七歳の時、自分ではたらいて家をおこさうと思い立ちました。父からわづかの金をもらひ、それをもとでにして、とうしんとかさを買入れ、遠いところまで商売にでかけました。道にはけはしい山さかが多かつたので、善右衛門はかさばつた荷物をかついで登るのに、大そうなんぎをしましたが、片荷づつはこび上げて、やう/\山をこえたこともありました。又時々はさびしい野原をも通つて、村々をまはつてあるき、雨が降つても、風が吹いても、休まずにはたらいたので、わづかのもとでで、多くの利益をえました。その後呉服類を仕入れて方々に売りにあるきました。いつも正直で、けんやくで、商売に勉強しましたから、だん/\と、りつぱな商人になりました。     

十四 自律自営(つゞき)   善右衛門は人にたよらず、一すぢのてんびんぼうをかたにして商売にはげみました。 ある時善右衛門は商売の荷物を持たないで、いつもの宿屋にとまりました。知合の女中が出て来て「今日はおつれはございませんか」といひました。善右衛門はふしぎに思つて、「しゞゆう一人で来るのにおつれとは誰のことですか。」とたづねましたら、女中が、「それはてんびんぼうのことでございます。」といひました。 善右衛門はつねに自分の子供にをしへて、「自分ははじめから人にたよらず、自分の力で家をおこさうと心がけて、せいだしてはたらき、又其の間けんやくを守り、正直にしてむりな利益をむさぼらなかつたので、今のやうな身の上となつたのである。」といつてきかせました。     

第十五 志を堅くせよ   イギリスのジェンナーはふとした事から、牛痘をうゑて疱瘡を予防することを思ひつきました。友だちにそのはなしをすると、友だちはみなあざけり笑つて、「つきあいをやめる。」とまでいひました。それでも少しもかまはず、二十年あまりの間さま/\にくふうをこらし、とうとう種痘の法をはつめいしました。まづ自分の子に牛痘をうゑてみた上、書物に書いてせけんの人に知らせました。 ジェンナーはその後もいろ/\とわる口をいはれましたが、ます/\志を堅くしてけんきゆうをつゞけてゐました。そのうちに種痘が人だすけのよい法であると知れて、ひろくせけんにおこなはれるやうになりました。今では我等もそのおかげをかうむつて居るのでございます。    

 第十六 仕事にはげめ   円山応挙は毎日京都の祇園社へ行つて多くの鶏の遊ぶ有様をぢつと見てゐたので、人々がばかものではないかと思ひました。こんなにして一年もたつて、ついたてに鶏の絵をかいたら、生きてゐるやうにできました。そのついたては祇園社にをさめました。これを見る人々はみんなりつぱだとほめるだけでしたが、或日野菜売の老人がしばらく見てゐた後、「鶏のそばに草のかいてないのが大そうよい。」とひとりごとをいいました。応挙は老人の家へたづねて行つてそのわけをたづねると、老人は「あの鶏の羽の色は冬のものです。それでそばに草のかいてないことが大そうよいと思つたのです。」と答へました。 或時応拳は又ねてゐる猪をかゝうとしました。八瀬の柴売女が自分の家のうしろの竹やぶに一匹の猪がねてゐると知らせたので、すぐ一しよに行つてその有様をかきました。鞍馬から来た炭売の老人が、その絵を見て、「この猪はせなかの毛が立つてゐないから、病気にかゝつでゐるのでせう。」といひました。そのあとで八瀬の女が来て「あの猪はあそこで苑んでゐました。」とつげました。そこで応拳はあらためてたつしやな猪のねてゐるところを見てかきましたら、せけんの人がほめそやして、一時に応挙のひやうばんがあがりました。     

第十七 迷信におちいるな   或町に目をわづらつてゐる女がありました。迷信の深い人で、かねてあるところのお水が目の病によいといふことを聞いてゐたので、それをもらつて来て用ひました。けれども病は日々重くなるばかりで、何のしるしも見えませんでした。 或日親類の人がみまひに来て、おどろいて、むりにおいしやのところへつれて行つて、見てもらはせました。おいしやはしんさつをして、「これははげしいトラホームです。右の目は手おくれになつてゐるので、なほすことは出来ません。左の目はまだ見こみがありますから、手術をして見ませう。これも今少しおくれたら、手のつけやうもなかつたでせう。」といひました。その後手術をうけたおかげで、左の目はやう/\なほりましたが、その女は、「自分のおろかなため、だうりに合はないことを信じて、まつたくのめくらにならうとしました。おそろしいのは送信でございます。」とつね/゛\人にはなしました。   

第十八 礼儀   人は礼儀を守らなければなりません。礼儀を守らなければ、世に立ち人に交ることが出来ません。 人に対しては、ことばづかひをていねいにしなければなりません。人の前であくびをしたり、人と耳こすりしたり、目くばせしたりするやうな不行儀をしてはなりません。人におくる手紙には、ていねいなことばをつかい、人から手紙を受けて返事のいる時は、すぐに返事をしなければなりません。又人にあてた手紙を、ゆるしを受けずに開いて見たり、人が手紙を書いて居るのを、のぞいたりしてはなりません。その外、人の話を立ちぎきするのも、人の家をすきみするのもよくないことです。 人としたしくなると何事もぞんざいになりやすいが、したしい中でも礼儀を守らなければ、長く仲よくつきあふことは出来ません。  シタシキナカニモ礼儀アリ。    

 第十九 よい習慣を造れ   よい習慣を造るにはつねに自分をふりかへつて見て、善い行をつとめ、わるい行をさけなければなりません。滝鶴台の妻が或日たもとから赤い毬を落しました。鶴台があやしんでたづねますと、妻は顔をあかくして、「私はあやまちをして後悔することが多うございます。それであやまちを少くしようと思ひ、赤い毬と白い毬を造つてたもとへ入れておき、わるい心が起るときには、赤い毬に糸を巻きそへ、善い心が起るときには、白い毬に糸を巻きそへてゐます。初のうちは赤い方ばかり大きくなりましたが、今では両方がやつと同じ程の大きさになりました。けれども白い毬が赤い毬より大きくならないのをはづかしく思ひます。」といつて、別に白い毬を出して鶴台に見せました。自分をふりかへつて見て、善い行をつとめることは初は苦しくても、習慣となればさほどに感じないやうになるものです。  習、性トナル。

    第二十 生き物をあはれめ   ナイチンゲールはイギリスの大地主のむすめで小さい時からなさけ深い人でございました。父が使つてゐた羊かいに一人の老人があつて、犬を一匹かつてゐました。或時その犬が足をいためて苦しんでゐました。その時ナイチンゲールは、年とつた僧と一しよに通りあはせてそれを見つけ、大そうかはいさうに思いました。そこで僧にたづねた上、湯できず口を洗ひ、ほうたいをしてやりました。あくる日もまた行つて、手あてをしてやりました。 それから二三日たつて、ナイチンゲールは羊かひのところへ行きました。犬はきずがなほつたと見えて、羊の番をしてゐましたが、ナイチンゲールを見るとうれしさうに尾をふりました。羊かひは「もしこの犬が物がいへたら、さぞ厚くお礼をいふでありませう。」といひました。    

 第二十一 博愛   ナイチンゲールが三十四歳のころ、クリミヤ戦役といふいくさがありました。戦がはげしかつた上に、悪い病気がはやつたので、負傷兵や病兵がたくさんに出来ましたが、いしやもかんごをする人も少いために、大そうなんぎをしました。ナイチンゲールはそれを聞いて、大ぜいの女を引きつれて、はる/゛\戦地へ出かけ、かんごの事に骨折りました。ナイチンゲールはあまりひどくはたらいて病気になつたので、人が皆国に帰ることをすゝめましたけれども、きゝ入れないで、病気がなほると、又力をつくして傷病兵のかんごをいたしました。戦争がすんでイギリスへ帰つた時、ナイチンゲールは女帝に、はいえつをゆるされ、厚いおほめにあづかりました。又人々もその博愛の心の深いことにかんしんしました。     

第二十二 国旗   この絵は紀元節に家々で日の丸の旗を立てたのを、子供たちが見て、よろこばしさうに話をしてゐる所です。 どこの国にもその国のしるしの旗があります。これを国旗と申します。日の丸の旗は、我が国の国旗でございます。 我が国の祝日や祭日には、学校でも家々でも国旗を立てます。その外、我が国の船が外国の港にとまる時にも之を立てます。 国旗はその国のしるしでございますから、我等日本人は日の丸の旗を大切にしなければなりません。又礼儀を知る国民としては外国の国旗もさうたうにうやまはなければなりません。    

第二十三 祝日・大祭日   我が国の祝日は新年と紀元節と天長節・天長節祝日とでございます。新年は一月一日・二日・五日、紀元節は二月十一日、天長節は八月三十一日、天長節祝日は十月三十一日でいづれもめでたい日でございます。 大祭日は元始祭・春季皇霊祭・神武天皇祭・明治天皇祭・秋季皇霊祭・神嘗祭・新嘗祭でございます。元始祭は一月三日で、宮中の賢所・皇霊殿・神殿にてお祭があります。神武天皇祭は四月三日、明治天皇祭は七月三十日でございます。神嘗祭は十月十七日で、この日にはその年の初穂を伊勢の神宮におそなへになり、新嘗祭は十一月二十三日で、この日には神嘉殿にて神々に初穂をおそなへになります。又春分の日、秋分の日に、御代代の皇霊をお祭になるのが春季皇霊祭・秋季皇霊祭でございます。 祝日・大祭日は大切な日で、宮中では天皇陛下御みづからおごそかな御儀式を行はせられます。我等はよくその日のいはれをわきまへて、忠君愛国の精神を養はなければなりません。     

第二十四 法令を重んぜよ   昔ギリシヤの大学者ソクラテスはいろ/\国の為に尽し、又若い人たちに正しい道を教へました。ところがソクラテスを憎む人人に訴へられて、とうとう死刑を言渡されました。弟子のクリトンは獄へ面会に行き、「罪もないのに死ななければならない道理はありません。今、獄を逃げ出す道があるから、すぐにお逃げなさい。」といつて、しきりにすゝめました。ソクラテスは「自分は今まで国のために正しい道をふんで来たから、今になつてそれをやぶることは出来ない。国法にそむいて生きてゐるよりも、国法を守つて死んだ方がよい。」といつておちついてゐました。     

第二十五 公益   昔、羽後の海べの村々では、暴風が砂をふき飛ばして、家や田をうづめることが度々ありました。栗田定之丞といふ人が、或郡の役人であつた時、その害をのぞかうといろ/\くふうしました。先づ海べの風のふく方に、わらたばを立てつらねて砂をふせぎ、そのうしろに、やなぎや、ぐみの枝をさゝせましたら、皆めをふくやうになりました。そこでさらに松の苗木をうゑさせました。それがしだいに大きくなつて、つひにりつぱな林になりました。 その後定之丞はほかの郡の役人になりましたが、そこでもこの事を土地の人にすゝめました。はじめははげしいはんたいを受けたけれども、いろいろとさとし、自分が先に立つてはたらいたので、また松林がしげるやうになりました。 定之丞は十八年の間もこの事に骨折りました。そのために風や砂のうれへがなくなつて、麦・粟などの畑もところ/゛\に開け、又しようろや、はつだけも生ずるやうになりました。この地方の人々は今日までもその恩をありがたく思い、定之丞のために栗田神社といふ社をたてて、年々のお祭をいたします。     

第二十六 人の名誉を重んぜよ   昔京都に伊藤東涯といふ学者がありました。江戸の荻生徂徠と相対して、ともにひやうばんが高うございました。 或日、東涯の教を受けて居る人が、徂徠の書いた文を持つて来て、東涯に見せました。その場に外の弟子が二人居合はせましたが、之を見てひどくわる口をいひました。東涯はしづかに二人に向つて、「人はめい/\考がちがふものである。軽々しくわる口をいふものではない。ましてこの文はりつぱなもので、外の人はとてもおよばないであらう。」といつてきかせたので弟子どもは深くはぢ入りました。    

 第二十七 よい日本人   天皇陛下は明治天皇の御志をつがせられ、ますます我が国をさかんにあそばし、又我等臣民を御いつくしみになります。我等はつねに天皇陛下の御恩をかうむることの深いことを思ひ、忠君愛国の心をはげみ、皇室を尊び、法令を重んじ、国旗を大切にし、祝祭日のいはれをわきまへなければなりません。日本人には忠義と孝行が一ばん大切なつとめであります。 家にあつては父母に孝行をつくし、兄弟たがひにしたしまなければなりません。 人にまじはるには、よく礼儀を守り、他人の名誉を重んじ、公益に力をつくし、博愛の道につとめなければなりません。 そのほか規律たゞしく学問にべんきやうし、迷信におちいらず、又常に身体を丈夫にし、克己のならはしをつけ、よい習慣を養はなければなりません。大きくなつては志を立て、自立自営の道をはかり、忠実に事にあたり、志を堅くし、仕事にはげまなければなりません。我等は上にあげた心得を守つてよい日本人とならうとつとめなければなりません。けれどもよい日本人となるには多くの心得を知つて居るだけではなく、至誠をもつてよく実行することが大切です。至誠から出たものでなければ、よい行のやうに見えてもそれは生気のない造花のやうなものです。

      大正九年十月十四日印刷 大正九年十月十八日発行 大正九年十月十八日翻刻印刷 大正九年十一月十日翻刻発行                        尋常小学修身書巻四児童用                        臨時定価金九銭   著作権所有  著作兼発行者  文部省   大正九年十月廿九日 文部省検査済   翻刻発行兼印刷者  東京市小石川区久堅町百〇八番地17            日本書籍株式会社   代表者 大倉保五郎   印刷所       東京市小石川区久堅町百〇八番地            日本書籍株式会社工場   発売所       東京市麹町区飯田町一丁目二三番地            〔株式会社〕国定教科書共同販売所  

Tuesday, January 16, 2007

日本の蛭は長生きだ。

 空中分解が始まったのでしょうか。こんな内閣見たこと無い。政権内部の意見がバラバラ。
 たとえば日銀の公定歩合引き上げ問題。上潮路線の中川蛙は上げるなと日銀に脅しをかける。尾身財務大臣は日銀が上げるならそれも良しと静観の構え。これは日銀、与党、財務省がばらばらで、官邸がどう考えているのか読めない。
 ホワイトエグゼンプション問題。与党は早くから次の国会に上程するのは無理としていたが、官邸、厚生労働省はなんとか出したいと16日午前中まで粘っていたが、最終的に首相判断で同日夕方に断念。
 誰が統一的な指導をしているのかさっぱり見えてこない。
 おまけに麻生外務大臣が谷垣氏に次の総理大臣を俺にやらせろと提案。もうポスト安倍が平然と表舞台に出る。これはもう完全に死に体政権である。
 首相談話で迫力あるのは北朝鮮問題だけ。それも拉致問題だけ。核問題もミサイル問題も前途の見透視まったくなし。
 こんな状態になっても自民党に余裕が感じられるのは最大野党民主党のだらしなさの故か。それとも自民党が大敗すれば公明党を追い出して、民主の一部と連合して本格的保守政党を立ち上げる準備が整っているせいか。

安倍氏の奥さんは可愛いと思います。

 お手々つないでセブから帰ってまいりました。安倍夫婦で御座います。
 今回も二人きりだったらどうしようと心配しておりましたが、無事皆様お揃いで、事なきをえたのであります。
 そうしますとやはり前回二人だけがセブに来てしまったということが気になるのであります。外務省のミスなのか、はたまた官邸のミスなのか、私たちは二人っきりでセブの浜辺にたたずんでいたのですよ・・・
 そのとき二人で作った歌もう一度繰り返しましょか。
 
 フイリッピンは遠かった。来た時よりも遠かった。
 あなたと、わたし、二人きり。ほかには誰も来なかった。
 テロが怖いか、弱虫め。台風怖いか弱虫め。
 愛ある僕たち怖くない。知らずに来たわけじゃない。
 勇気を試しにやってきた。

 フイリッピンは遠かった。来る時よりも遠かった。
 あなたと、わたし、二人きり。各国首脳はどこ逃げた。
 嫁さん連れてどこ逃げた。
 愛し合うぼくたち怖くない。何も知らずに来たわけじゃない。
 勇気を試しにやってきた。
 どうせ旅費は税金だ。ゆっくりセブの浜辺を楽しもう。
 用がないからゆっくりしよう。
 何も知らずに来たわけじゃない。
 ぼくたち幸せすぎて、マヌケに見えないだろうか。
 何も知らずにぼくたちが来るわけがない。
 勇気を試しにやってきた。
 フイリッピンは良いところ。一度はおいでよフイリッピン。
 各国首脳はなぜ来ない。嫁さん連れてなぜ来ない。

 このセブ二人きり事件は国内でも国外でもほとんどコメントがない。あまりの無様さ、滑稽さに諸外国も国内マスコミも目をそらした振りをして、鼻を括って、内緒で笑い転げているのですよ。そしてこの失態が安倍内閣凋落のきっかけだったのです。皆が知ってしまったのです、この内閣はアホばっかりと。見栄え、格好だけのアホ内閣と。 その後スキャンダル続出、政府の方針にも異論続出、で空中浮遊内閣と成り果てたのであります。
 こうまで政権が弱くなりますと、ここで恩を売って点数を稼ごうと外交上手な国が出てきて当然ですね。中国さんが拉致問題で安倍さんにリップサービス。
北朝鮮さんも参院選前に何かサービス行動をやってくれるかもしれませんね。
こういうのを「歴史のパラドックス」というのでしょうかね?w

Saturday, January 13, 2007

どこまで広がる事務所費問題

 只今問題になっております事務所費問題。佐田前行革大臣を別にいたしますと、伊吹文科大臣、松岡農水大臣、中川政調会長等は亀井派に属しておられたのですね。なるほど前回衆議院選挙でエライ目に合わされた亀井派の中でいち早く小泉に寝返り、安部政権誕生に奔走していい思いをしているこの人たちが狙われたという構図は分かりやすいですね。
 しかし政界の暗闘図は私等庶民にとってはドウでもいいことで、政治資金を不適切に使われている方は、私腹を肥やしているのに違いない。(庶民はそう考えますが間違ってますか)
 そんな方々はいち早く政治の世界から退場していただきたい、というのが私たちの願いなのであります。よい政治をするために不適切な政治資金の使い方をしているというような転倒したお言葉は要らないのであります。聞きたくないのであります。
 ですから大臣であれ、自民党代議士であれ、野党党首であれ誰であれ、とっとと政界から去りなさいというのが私たち庶民の願いであります。
 伊吹文部大臣は法的には問題がないことを縷縷説明しておられますが、「不適切といわれればそう認めざるをえない」とお認めになりました。あとどういう政治責任をお取りになるか、また任命責任者の齧歯目がどう処置なされるのか楽しみであります。
 ド厚かましいのは松岡大臣と、中川政調会長です。不適切な処理はしていない、間違いないというだけで何の説明もなしです。開き直りですか。佐田大臣は辞任した。伊吹は曲がりなりにも説明しとる。おまえ等二人が何で知らぬ存ぜぬを押しとうすことができるのですか。それほど大物とのご認識ですか。この二人は議員辞職にまで追い込まないと、いけません。そうなることを一市民として願っているわけですが、どうなるでしょう。楽しみでもあり不安でもあります。w

Wednesday, January 10, 2007

GDPがいくらになればすべての人が中の上?

 これではダメだと思うのですけれど・・・何のことか?ハア、中川先生、カエル似の中川自民党幹事長。昔夫婦の寝室に女連れ込んで写真取られたお人の本でございます。「上潮の時代」という書名でGDP1000兆円計画なるサブタイトルがついております。いつそうなんねんちゅうことは中身を読まんことには分からんのでしょうが、いつかなら、そんなこともあるわいなーと思います。けれども、帯に書いてある 日本人すべてが「中流の上」に! はいつまでたっても不可能だっしゃろなー。
 中流とは平均ちゅうこってしゃろ、皆が平均点より上なら平均点の人はどこにいることになるのですか?平均点の人はいないのですか?平均点より下の人もいないのですか?私はそんな世界はどことのう気味悪いと思うのですが。
 それよりもですよ、現在でもGDPは400兆を超えていて、国人一人当たりに直すと約400万円になるのではないですか、年ですね。つまり赤ん坊も子供も寝たきりの老人も含めて一人当たり平均して400万円儲けたということですよね。4人家族なら平均1600万円になる。こういう計算は間違いですか?
 それと現在のGDPの世界で中流とは年収いくらのぐらいの人ですかね? このGDPではすべての人が中の上になるのは無理なんですかねー間違いなら、はよう訂正してもらわないと、GDPが1000兆円になってもどれだけ豊かな生活になるのか実感が涌いてきませんのでございますよ。出資法違反の詐欺師のような論法に聞こえますので御座いますがね。これではダメだろう、任しても大丈夫か・・・いやダメだろうと。

佐田、松岡に続いて伊吹も火ダルマ。

 去年の末のことではございませんでしたかね。佐田行革担当相が事務所経費の付け替えで「不適切な会計処理」をして閣僚を辞任なさった。
 今年が始まったばかりというのに伊吹文部科学相も同じ不適切経理で槍玉にあげられましたですね。この問題はたんに道義的問題なのですかね。法的な処罰はないのですかね。素人の私には分かりませんがこういうこと大勢の議員さんがやってはるのでしょうね。「秘書問題」と同じように悪しき慣行となっているのではないでしょうか。
 事務所経費ということにしますと使途の明細を報告する必要もなく、領収書添付の義務もないということですから一体なんに使ったんやという問題が生じるはずなんですけれども。伊吹氏の場合4700万事務所費として計上し、うち1200万程度を議員などの会食費に充てたと説明しています。説明はしていますが、領収書もないのにどのように証明できるのでしょうかね。不思議なことで御座います。はっきりポケットに入っていたとしても驚くには当たらないということですかね。脱税かもしれませんね・・・そんなことはないと信じておりますがね・・・万一そんな人がいじめ問題で子供たちに語りかけておったことを思い出しますと、無残やねーと思ってしまいますね。子供たちもケッと思うに違いない。大人の世界に背を向けるというかですね、美しい日本をどのように信じたらいいのかね。こういう人が教育基本法を改正したと称して、国を愛せと強要する。恐ろしく転倒した世界だと思うのは私一人でありましょうか。
 松岡農水相はN・P・O問い合わせで100万円の政治資金記載漏れ問題と事務所費問題も浮上しダブルパンチで辞任必須でしょうね。
 佐田行革担当相が辞任したのであれば、松岡農水、伊吹文部科学両大臣も辞任することになるのでしょうね。政府税調会長の本間さんもスキャンダルで辞任してます。・・・政権が発足して4ヶ月にもならないのにこうなってくると「美しい国日本」を作るための人選がこれでっかと本気で問いたくなりますね。
 齧歯目宰相さんは悪い冗談で国民をからかってイラシャるのではないかと。これでご本人に万一スキャンダルで辞任ということになれば面白いのは面白いけれど、日本人としては脱力感・・・ですね。もう一回小泉さん呼び戻しますか?www

Sunday, January 07, 2007

お手洗い貸していただけますか

 日本経団連というものがありますそうで。ここには日本の一流企業の社長さんや会長さんが集まっておられる。そんな偉い人たちが集まってなにしはんねんやろなーと思うてましたら日本の将来を考えてくださる。たぶん無料で作っていただいたと思うのですが、
「希望の国、日本 御手洗ビジョン」と称しまする、今後10年間の日本が目指すべき将来像だそうであります。このビジョンに従って政治をすればキャノンや、トヨタのように、日本のお国も世界に冠たる一流国家になるということなんでございましょうね。
 で、中身はと申しますと、消費税は2011年度までに2%引き上げる。また、国の債務残高の対国内総生産(GDP)比を安定させるため、2012年度以降から2015年までの間に、消費税をさらに3%程度引き上げるか、社会保障以外の歳出を毎年4.6%程度削減することが必要、らしいので御座います。
 なんか小難しいのですが、突き詰めれば増税か、歳出削減かということなんで御座いましょうね。歳入に従って歳出を切り詰めて居れば借金が減るというのは考えてみればアホでも分かることですがね・・・
 ところが分からんのはこうして日本の将来を心配して立派な提言をしてくださるキャノンの会長様の会社がですよ、偽装請負で告訴されておる。前の経団連会長の奥田会長のトヨタも同じことをしておる。日本を代表する企業のキャノンやトヨタがそんなことをしているとなれば、日本中の企業がそういう誤魔化しをやっていると思うのが当然ですが、決して全部というわけではない。厚かましい企業だけがそんなことをやっておる。
 御手洗氏などは、「請負法制に無理がありすぎる」「これをぜひもう一度見直してほしい」などと法律のほうを悪者にしていらっしゃる。
 こういう悪辣なことと、ご立派な提言をなさる、この異常な格差についてはですよ、私らのようなアホな人間は悩むので御座います。この人の言うことを信じていいのやらどうかですね。
 ところでこの御手洗というお名前はどう読むのでっしゃろかね?「おてあらい」なるほど・・・なるほど・・・ちょと私し小便したくなりましたんで今日はこのぐらいで。おおきに。さいなら。
 

Friday, January 05, 2007

閑なので松岡農水大臣のことも・・・

 今年のお正月は三が日のお休みに続きまして6、7、8と三連休でございます。本来なら4日、5日はお仕事なんでしょうけれども、年末に休みを取り、三が日も休んでしまって、先に三連休が待っているとあれば、もうメンドクサイから皆休んでしまえ、というのが人情でございませんでしょうか。できれば5月のゴールデンウィークまで休みたい。願わくば、叶うならばもう一度正月がくるまで・・・
 ま、そうは休んでられませんが、元日から忙しいのは農林水産大臣の松岡さんでございます。朝日新聞元日の一面に「内閣府に調査依頼」「資料残る」などと堂々と書き立てられましてね。正月早々、尻に火がついたということでしゃろね。
 私は個人的には正月早々こんな意地悪な記事は載せなくてもいいのではと思うのですがね。死刑囚でも正月早々刑を処す、はないだろうと。悪人も善人も三が日ぐらいは穏やかな時を過ごし、ま、その後徐々にですよ、お仕事に戻る。悪徳政治家はごまかしに走り、泥棒は盗みに走り、役人は汚職に走り・・・悪人ばかり走られても困るのではありますが、皆さん、徐々に仕事に戻っていく。それでいいのではと思うのですが・・・
 松岡さんのこの問題、最初は政治資金規正法違反とか何とかだったじゃなかったでしょうか。100万円でパーティ券を買ってもらったのに記載がなかったとかなんとか。で、すぐ書き直します、とかいって終わったと思ってました。なんじゃばれたら書き直したら済むんか、そんな法律なんの役に立つんじゃ!と思ったりして、怒ったりもしてたんですが、まあ、私も忘れっぽいほうで。ほんま最近メガネの置き場所もよく忘れて、嫁かにメガネどこじゃ?と聞いて「お父さん、頭の上」何てこともしょっちゅうで、物忘れの激しい庶民は政治家に食い物にされるなーと思いもしてまんのですが。
 その100万円の出先がなんか怪しい団体で、それが厚かましくもD・D・Tとかいう政府公認の怪しげな団体になろうとして・・・ そりゃ違いすぎると嫁かが申しております。N・P・Oという怪しげではないはずの、ということだそうで二行抹消でございます。
 それで松岡さんの秘書が内閣府にその作業どうなってんね、どうなってんねと尋ねたそうでございます。金もろてそういうことをすると斡旋利得収賄罪に当たるんとかなんとか難しい問題が生じるそうでございます。で松岡さんが正月から困ったことになリはったと私の心は部分的には同情しいるわけであります。しかし大部分はザマア見ろと拍手喝采なんですね。悪徳政治家が正月から苦慮、お難しい言葉ですが、苦慮する姿はめでたいと、私はそういう風に思う人間なのでありますーよ。
 それにしてもこの松岡というおっさんは金の噂の尽きん人でんな。鳥インフルエンザ問題が発生したときに業界団体から仰山金もろて噂になってます。
林道整備業者からも。談合した企業からのものだったらしいです。最悪はあの「ハンナン」(皆さん覚えてらっしゃいますか。あの食肉偽装問題ですよ)関係者に女性問題の処理を頼んだという疑惑です。金と女に汚いのが政治家になる一つの素質ではないかと思う今日この頃でございます。

なぜ集団的自衛権か

 自衛隊は専守防衛を旨とした軍事力ですね。普通は防衛を標榜しながら攻勢力のある軍を企図するものですが、自衛隊に限って専守防衛を貫いています。守るだけの軍隊は弱い。非効率で金がかかる。軍事の専門家から見ればこんな軍隊は想像もつかないものなのだそうですね。無い方がまし。
 これは先の戦争で諸外国に進出し、多大の損害を与えたことに対する反省の故である。もう日本国外で戦争することはありません。日本が直接攻撃を受けた場合、水際で防衛をするだけの軍隊です、ということなんだそうです。
 自衛隊を単独で考える場合これは真実らしいですね。日本は核兵器を持っていない。長距離弾道弾もない。長距離爆撃機も。空母も。上陸用舟艇も対岸に逆上陸できるほどは持っていない。
 中国や韓国が日本の右傾化軍事力増強を懸念してはりますが、過去のように軍事的攻勢をかける能力のないことは分かりきっていらしゃるんでしょうね。ただ日本の為政者も6兆円も予算をつかっている割には使い物にならない軍隊なのだと、お馬鹿な反論をするわけにもいかない。だんまりを決め込むしかないのを見越しての外交攻勢なのでしょう。
 が、しかしこの専守防衛の軍隊が、前方展開能力のある軍事力と一体化するとどうなるのか。非常に役立つ輜重兵となるそうです。兵站維持にはめっぽう役立つのだそうでございます。日本は先の戦争で兵隊さんは強かったが、兵站で負けた、という意識が強い。そのパラドックスなのでしょうか変な軍隊を作ってしまったものでございます。
 イラク戦争を見ればそのことがよく分かります。陸自は専守防衛に徹して基地に引きこもり、たまに水配りをして無事帰国した。専守防衛の訓練をしていただけのことはある。よくできました。
 その一方、空自と海上自衛隊はいまだに参加している。引っ張りダコなのですね。海上給油。空路による補給なら自衛隊にお任せってね。これどう考えても戦闘行為に参加していることになるんですがね。輜重兵が兵隊ならば、という歌もあって馬鹿にされてはいたのですが・・・とにかく専守防衛部門は役に立たないが、兵站部門は大いに役立つわけです。
 そこんところに目をつけたのが米軍再編で、今まで自衛隊など足手まとい
だけだと思っていたのが、兵站なら十分役に立つ。利用さしてもらいましょ。
 日本にすれば専守防衛にしか役だたない自衛隊に大いに役立つ仕事が見つかったてなもんでしょうね。よかった、よかった。
 集団的自衛権の内実はこのようなものなのですね。一義的にはですね。
 でその後この輜重兵が軍事物資運搬中に死ぬでしょ。すると盛大な国葬です。まあ、一人の犠牲者では盛り上がりませんので5、6人から10人ぐらいが一度に死んでもらうのが好都合。ですからイージス艦が沈められるのは大袈裟ですから、補給機が一機ぐらいがちょうどいい・・・ 菊の花が盛大に飾られた祭壇に白無垢の棺が並べられて、荘厳な鎮魂歌が流されるなか総理大臣祝辞。モトイ。弔辞。なんやらかんやらで皆後に続け、終わり。てなことにならなければよいのになーと思う今日この頃です。

マリー・アントワネットやあるまいに・・・

 マリーアントワネットは、ルイ16世の后。フランス革命でギロチンの刑に処せられた。彼女が歴史に残っているのは次のごとくノタマワったからだとされている。「パンがないのならなぜケーキを食べないのかしら?」
 パリ市民が食糧不足で飢餓に苦しんでいるときそう言ったそうだ。パンもケイキもあふれかえっていた宮廷にいると悪気はなくともそういう疑問をもってしまうのだろう。彼女は支配者の一部ではあっても、為政者ではないから宮廷内では笑い話で済んだかも知れない。しかし漏れ伝わったこの言葉がパリ市民の憤激を買い、ルイ王朝は崩壊、マリーも斬首されたのである。
 一方我が齧歯目お坊ちゃん宰相は、あのホワイトカラーなんとかかんとかたらちゅう残業代ゼロ制度が少子化対策に役立つとオノタマワリになりけつくさったのである。
 なんとこの馬鹿糞お坊ちゃんは一般のサラリーマンが残業するのは姑息にも残業代が欲しいからで、残業代がもらえなくなれば残業をしなくなる。残業代がなくても十分食っていける、と確信しているらしい。ハッピー・バースデェイ・トゥ・ユーである。生産性を上げるにはアメと鞭。奴隷制度しか頭にない小役人が曲学阿世の学者どもを寄せ集めて作った財界にこびへつらった答申案だ。そんなものが平和な子作りに役立つはずがない、なんて事は皆ーんなおみとうしだ。
 能天気な評論のできるのは子作り実績ゼロのあんたんようなおばか、おぼちゃま宰相だけだ。自分の言葉でしゃべればすぐぼろが出て無知蒙昧をさらけ出す。人の書いた言葉は覚えきれないのでレコードのように同じフレーズを繰り返してしまう。できそこないの歌舞伎役者。平和な日本で断頭台での最後はないだろうが、歴史に残るナンバーワンパープリン宰相の名誉はいただけそうですね。